昭和42年12月03日 朝の御理解



 天地書附の中に今月今日で一心に頼め、という行がございますですね。今月今日で一心に頼め。お互いが今月今日で何を頼むかと。皆さん何を頼んでおられるでしょうか。今月今日一心に頼んでおられる事は、何を頼んでおられるのだろう。勿論今日もどうぞ、私の心の上に和らぎ賀ぶ心を与えて下さいと言うて一心になる、願えというわけですね「生神金光大神 天地金乃神一心に願え おかげは和賀心にあり」と仰せられるのですから、どうぞ私の心の上に和らぎ賀ぶ心を頂かして下さいと一心に願うのですね。
 けれども今日、私そこんところをもっと具体的に頂かなければいけない。ただ一心に私の心に和らぎ賀ぶ心を頂かして下さいだけではいけない。何故ってその願い事が私共の心の中に沢山あるんですけどね。商売をしておる人はどうぞ、お商売の繁盛のおかげを頂きますように、病気をしておる人は、やはり健康のおかげを頂きたいのでございますからね、そういう願いと同時にやはり、切実に願わなければおられない、けれどもですね、一番私はあの、今月今日で一心に頼まねばならんことはですね。
 神様の心に添うことね。今日もどうぞ神様、あなたの心に添わして下さいと言う事を一心に願わなければです、和賀心も頂けなければですね、病気の平癒の商売繁盛のおかげにはならんのですよね、本当の意味においてのおかげには。どうぞ和賀心を下さい、どうぞ和らぎ賀ぶ心を頂かせて下さい、ばっかりではいけないことが分かります。どうぞ今日も商売繁盛のおかげを頂かせて下さい、というだけでは、なるほどお取次のお徳によっておかげを頂くに致しましてもです、それでは私は神様が喜んで頂くおかげになってこないと思うのです。
 今月今日で一心に頼め。お互いこの今月今日で何を一心に願うのか。どうぞ神様あなたの心を分からして下さい。どうぞあなたの心に添わして下さい、大御心に添わして下さいと。ここんところを一心に願わしてもらうところにですね、もう本気で教えに取り組まなければならないことが分かります。御教えはそのまま、神様のお心だと私は思うのですね。あなたのそこにです、日々お参りをさして頂いて、なるほど日々御理解を頂かなければならないことが分かります。
 御理解を頂いた上にも頂かせてもろうて、初めて神様のお心が分かるのであり、神様の心に添わせて頂くためにはまず、きれいにならなければならない、改まらなければならない、磨かなければならない。と言う様な事になってくるのです。どうぞどうぞと言うて一心に願う。そこで私は神様のお心にですね、添うと言う事の、まあ生き方の中にどうぞ、神様の心に添わして下さいというその自然の働き、神様の働きそのままが自然の働きと私は頂いておりますが、その自然の働きにです、逆らわないところの生き方。
 例えば今私、もう歯のほとんど全部がもうがくがくでございます。もう全然固い物なんかは頂かれません。私は大体やわいものがあんまり嫌いでしてね、果物でも例えば柿を頂きましても、もう固いのでなからなきゃ、やわいなんかは全然食べたことなかったんです。ところがどっこい、そう言う訳にはいかんのですよね、もうやわいのは私にとっといて下さいと言わんなんごとなったね。そこでです私共がです、なら歯が悪いなら悪いと言う事、どうぞ固い物が食べられるようにお願いを致します。
 と言う様な事は私は神の心に反する願いだと思うのですね。どうぞとん見でんなんでんがりがち、いうち噛まれるごたる歯ば下さいなんていう願いは、私は本当の事じゃないと思うんですね。ですからです例えばその歯なら歯に頼る結局、今月今日がです立ち行かせて頂くと言う事なんです。お粥でもいいのである。熟し柿かけでもいいのであるね。無理なしに立ち行かせて頂くと言う事をね、一心に願わなければいけないと思う。
 三代金光様の奥様は金光様が亡くなられたその翌年お隠れになられました。金光家にご縁をついてみえられて、何十年間沢山のお子をえられましたから、お若い時にはお子様を背中におんぶしながら、御神米を折りよんなさったと言う事です。ご本部で頂きます、あの沢山の、もうどれだけの数やら分からん、あの沢山の御神米を全部、金光様のいわゆる奥様の手にかかったものだと聞いておりますね。
 それがお若い時から目の病気なんです。けれども私はどうぞこの目の病気がですね、全快のおかげを頂きますようにと言うて、お願いをしたことはございませんと言うて、ある方にお話なさっておられますね、もう今日が立ち行けばよいと今月今日で頼んで参りましたと。しかも何十年間ね。また金光様とご一緒にお起きになる時に、やっぱちょっとお辛い時はありましたけれども、どうぞ今日も立ち行かせて下さいますように、今日も御用にお使い回し下さいますようにと言うて願うと仰った。
 例えば今難儀なら難儀なとこを通っておる人がです、この難儀から逃れたい逃れたい、お金のない人がどうぞお金を持ちたいと言う様な願いじゃなくてです、その難儀の中にでも、今日的立ち行きというものがです、できればそれでよろしいのだ。自然に逆らわない願い生き方なんだ。それでいてあのご高齢まで長生きのおかげを頂かれて、金光様は言うならば、この辺の言葉で言うならばお爺さんを見取られてから、お婆さんが亡くなられたと言う事になる。もう何とも言えん有り難い事だと思うんですね。
 今月今日で一心に頼まなければならないこと。それはあなたの心に添わして頂きたいと言う事、為にあなたの心が分からなければいけない。人間は鉄や金でできているのではございませんからね、段々年を取るにしたがって、まあ弱ってまいります。老衰してまいりますね。それこそ自然木が自然に枯れていくように、おかげを頂いていかなければなりませんね。50になり60になり70になり、言うなら耳も遠なろう目も霞もうね、歯も当然悪くなるのが当たり前。
 ですからそれに、それに即応した生き方だ。歯が悪いですからどうぞ固いものも食べさして下さいといったようなものでなくてです、そのやわい物をおいしゅうなるおかげを頂いたらいいのです。私は熟し柿が嫌いだったんですけれども、今は熟し柿が好きになっておる。ようにですね、そこんところを願うていったらいいね。これはね歯だけじゃないのですよ、年をとるに従って五体の全体がそうしてやはり弱っていく。言うなら胃なら胃も弱っておる。
 もう胃がです固い物では受付られない言わばことを、言うなら歯によって、前知らせがあってよるようなもんですね。ですからね、この身につり合うたものを頂かなければならないぞという神様の御神意を悟らずしてから、胃が弱っておるとに歯だけが若けえもんのごとある。そして固いものでんなんでんがぶがぶ食べたり飲んだりすると言う事はね、その胃を酷使することになる。そこに健康が害されるというようなね、そこを成り行きを尊ぶとかね、自然の働きを大事にするとかというのはです。
 私そう言う様な事だと思うのですね。そこからです、そこから例えばんなら固い物が頂けるようなお繰り合わせ頂いとると致しましょうか。時にはです胃が確かに、言わば健全になっていきよる時とまず頂いて間違いなかろうと思いますね。いつまでもなら信心したら貧乏しとらんならんですか、いつまでも一生病気しとらんならんですか、と言う事はないのですね。そういう神様のお心に添い奉らしてもらう生き方ね。
 その神様の心に添わして頂く所の生き方が出来ます事を、今月今日で一心に願うていかなければならない。ですからお道の信心には無理がないね。これはね様々な社会生活のこうした、あられぬ中に生活をしていく、と言う事においてもそうなのです。だからもうあれを引っ張りのかしてからでも、前の者をこう、言うならば邪魔になるものはもうそれ蹴散らしてでも前に進むと言った様な事をしなくてもです、やっぱりこの道のついていくだけの進みでいけばいいというのがお道の信心の生き方なんですね。
 昨日私、久留米に行きがけに末永さんから聞かして頂いた話ですけれども、そこへあのドライブインが出来る訳食堂ね、いろんな大変ここら辺にしてはしょうしゃなお店ができて、中村さんとこがすぐ側ですから、まあ障ろうというわけなんです。親先生知っていますかって、何をですか。もうこの頃はですね、あの店が出来てから却ってあの中村さん所、繁盛しよりますよっていう話を聞いたんですけどね。
 はああげな店がで来たからと言うて、それこそもう頭にのぼせ上げてしまうごとその、商売敵的な意識をですね、中村さんが燃やされないところにです、中村さんが椛目時代、椛目に通って来なさった時分から、今日からもう大変な変わり方をされました。もうそげん言やあ人相が変わりなさったごとあるねってからまあ、自動車の中で話したことですけれどね。そういうひとつの自然にそして起きてくることをです、成り行きをはあ負けてなるもんかと言った様なものではなくてですね。
 そこんところを大事にし、そこんところを有り難く頂かせて頂くところにです、ならあちらも立ち行くように違いはないけれども、こちらも立ち行かせて頂きよる、おかげが受けられておると言う事実がある。近所に同じようなお店ができたから、家が困るだろうということはない。それは人間の考えなんだね。どうぞだから、あちらも立ち行きますように、私の方もなおさらまた立ち行きますようにね。今月今日ただ今が、立ち行ったらそれでいいのである。
 どうぞ歯を強うして下さい、どうぞ健康に、今して下さいと言った様な願いは、これは本当のお道流の願いじゃない。神様が下さろうと思えばです、もうそれこそ、あっという間に手のひらを返すようにでもおかげを下さるもんだ。だから今日が立ち行きゃあいい、ね。そのためにです、例えば「生神金光大神 天地金乃神一心に願え」と仰る事は、一心に願うとはどういうことか。一心に願う事は勿論、どうぞおかげは和賀心にあると仰るのですから、和賀心を願うのですけれども。
 和賀心を願う前に、んなら和賀心になるために神様どうぞ、あなたの心あなたの心を分からして下さいね。あなたのお心に添い奉る今日一日でありますようにと言う事を一心に願うのです。神様の心を分からしてもらい、神様の心に添わせてもらう今日一日であるようにということを一心に願うために、ならあなたの心はとは教えなんですね。ですから本気で教えを頂かせてもろうて。
 なら今日頂いた教えなら、教えというものを本気で行じることは、あなたの心を体して、あなたの心を守らして頂いているようなものですから、おかげになるのです。だから私の心の中に喜びの心が湧く、和賀心が頂けるのです。そういう心に現われてくるところのおかげこそが本当のおかげだと言う事が分かりますね。無理な願いをしちゃならんとまあ言われますけれどもね。
 夢にでも願わなければならないことは、どうぞあなたの心を分からして下さいであり、あなたの心に添い奉る一日でありますようにと言う様なですね、願いを本気で持たせて頂く、おかげを頂かなければいけませんね。そしてそれが今月今日が明日につながり、明後日につながり、一生につながっていくところのおかげ。しかも無理がないね。言うならば高いところから低いところへ水が流れるようなおかげになってくる。
 この頃森部の高山さんが研修会の時に発表しておられましたようにね、合楽の前身である椛目に初めてご縁を頂いた時に、親先生から頂いたみ教えは、高山さ、高いところから低いところへ水が流れるような、おかげを頂きなさいとこう言われた。高いところから低いところへ水が流れるような、おかげを頂かなければならない。どう言う事か一つも分からなかった。十何年経たせて頂く、今日初めて分からして頂く事はですね。
 例えば先日から高芝さんが見えて、お父さんがあの様に具合が悪いから一生懸命お願いしなさらにゃん。こういう難儀にあったら助けてもらわにゃと言う様な事を言われたけれどもです、私はそれをひとつも難儀と思わないっちゅう。もうこれは本当に思わんのですからと言うて、力を入れてから話しておられましたでしょうがね。これでも十分なおかげを頂いておるのだと。
 そして分からして頂くことは高いところから低いところへ水が流れるようなおかげとはこの事だと。そこにお商売の上にも仕事の上にも、まあ完璧とは言えないに致しましても、なるほど高いところから低いところへ水が流れるように、スムーズにおかげを頂いていきよるということ。子供達の上にもおかげを受けていきよると言う事。お商売の上にも同じくおかげを受けておるということ。
 ははあ、高い所から低いところへ水が流れるようにと言う事は、こういう無理のないあり方だと言う事を分からして頂いたという意味のことを話しておられますようにですね、私共はそういうこの信心を頂かせてもろうたら、いわゆるそのお道的な信心の有り難さと申しましょうかね、信心のそのじむというかね、もう味わうても味わうても尽きない、味わいというものが、そこから頂けてくるように思います。
   どうぞ。